先週、善通寺に七箇所参りへ行く前に立ち寄ったうどん屋さん。
地図を貼れよって話ですが、不慣れなもので。
滝宮天満宮から少しだけ西へ行ったところにある「ソラネ」
強気の値段設定。
地元の小物製作者の作品(商品)も展示。
ちょっとシャレオツな雰囲気で、県外から来られた女性2人で入るには調度良い感じ。
そんな雰囲気をものともせず、1番安い「かけ小」を注文します。
宝くじが当たったら、1,000円以内で好きな物食べて、お釣りは募金する生活を心掛けていますので、神さま仏さま宝くじを当てて下さい。
本題、童話の王様の耳の方じゃなくて
「裸の王様」の方ね。
嫌いというか、まあ嫌いなんですけどね。
もっと嫌いなのは、自分が「裸の王様」にいつの間にかなっていること。
これは1番気をつけたいところです。
つい先日から個人的に会社は荒れております(自分の中でね笑)
会社批判という従業員の意見も発することができない瀬戸際のわたくし。
それでも、店長という立場で物事に意見するので、同僚から陰で「裸の王様」扱いされていないか気をつけなければなりません。
物事には大抵理由があり、その結果に至るまでに試行錯誤して、今の状態がある。
メリットデメリット考えて、AじゃなくてBになってます。
それを昨日今日入った新人がいきなりCとかされると、おいおいBだったのになにしてくれまんねん。
ってなります。
その件について、一から説明するのも億劫。
億劫な理由は、説明しても聞き入れてくれない、納得してくれないからです。
そもそも、言ってわかる人なら、勝手に変更しないんですよね。
ただそれを陰で「勝手にCにしやがって」とかブツブツいう店長もどうかと思います。
「いつかデメリットの多いCはダメだなと気付いてくれるか、それまで待とうホトトギス」
ってな感じ。
だって「Bに直しといて」って言っても、彼にはCにした言い分があるはず。
それを聞いた上で「B」と言えるのか。
どうせ聞いても「B」だし、C案とかも散々した結果「B」がベストに至るんです。
たらたら書いたけど、言って理解してくれて、実は「裸の王様ウザイ」とか思われるのが怖いんですよ。
そういう肝ったまの小さなわたくし、本物の裸の王様に意見なんて出来るはずがあろうものか。
けど、わたくしもバカじゃないので、その件なら「DよりE」とかわかるんです。
けど、言って不快にさせる可能性より、波風立てない方を選ぶタイプ。
これ、こちらサイドが主人公側だとしたら
「意見を言いにくくしてる裸の王様」
に問題あり、でしょう?
結局、年収300万の平社員が1億円の商談に行ってる時に、年収1,000万の同族社員が鉛筆削りに神経注いでた。
適材適所の意見を吠えた途端、首が飛びそうになる。
裸の王様というか王族には、一般市民の当たり前は通用しないのを身に染みて体感しております。
プロ野球の監督の指示通りに練習して、ペナントレース最下位で監督解任。
翌年、優勝。
結局「そッスね、間違いないッスね」と言ってた選手に心の中では馬鹿にされ、結果が出ずに翌年職を失う。
まして翌年に監督変わって優勝とか、どれだけ自分の指導能力が間違っていたのか、ファンがそう判断するでしょう。
自分はなりたくない、そう思ってても見えない壁を作られているかもしれない。
「他人のふり見てわがふり直せ」ではないが、何を言われても「イエス」しか言わないキリストマン。
不平不満が積もりに積もった時に誰が味方してくれるのだろうか。
経営者側というだけで指導能力も従業員より優れているという傲慢な気持ちは捨てなければならない。
それに気付かないのが同族経営者の跡継ぎ。
トヨタに然りお笑い芸人然り。
周りが間違っているのに気付いていても、身を守る為に何も言わない(言えない)
悪と分かっていても見逃すのもまた悪ではあるけど、やはり一従業員としては自分の生活を守る選択をしてしまつのがサガでしょう。
ブロガーさんのブログを読んでると、まぁ自分では思い付かない考えや意見、体験談が書かれてたりします。
100%ニュートラルではありませんが「なるほど」と頷ける内容が良くあります。
自分の耳に入れてくれる意見だけに反応するのではなく、自分から覗きにいった新たな意見に反応する。
反発なんて損ですからね。
やはり固定観念を捨てた世界は、自分の物差しでは測れない。
そういう柔軟な頭が大事だなと常々思っております。