朝、不要段ボールのごみ捨てに時間がかかり、当たり前の様に田村神社へ参拝してたら到着時間がギリギリでした汗
間に合えば、どうと言うことはない。
お花をスマホで撮ってみたのですが、背景ぼかして写ったけど、カメラ欲しくなりますね。絶対買っては行けない境遇ですが、我慢です。
最近、急に暖かい気候が続いたりして、春がそこまで来てるのかなと思ってしまいますね。暑くなると冬が恋しくなったりしますが。
基本的に無い物ねだりの性格なんだなと自覚しますね。
あれば便利とか心や生活が満たされるけど、手に入れたらそうでもないとか、思ってたより有難みが薄いとか。寧ろ無理して買った場合、金銭的余裕とか置き場所とか毎日使わないと勿体無いとか、色々制約が出てくるんですよね。
単純にわたくしの先見の明が無さすぎるのでしょうか。それで手放すと、やっぱりあれは便利だったとか堂々巡りなんですよ。
昨日、予約していた本の順番待ちが来たので図書館に借りに行ったのですが、借りた本が面白いですね。読みやすいというか、話のテンポが良いというか。
同じ本という括りでも、内容にもよるかもしれませんが、最後まで早く読みたいとか続編が気になるって場合と、読んでて苦痛になり途中で読むのを止めてしまうとか。作者の違いと自身に合ってるかどうかなんでしょうけど。なんだかストーリー物で楽しい作品は久しぶりな気がしますね。随分外れが続いたりしましたからね。
こうやって見ると、作者で当たり外れが完全に別れてしまいます。気に入った作者を増やして行くのが今後外れを引く確率が減りますね。ただ、新しい作者を探そうとすると外れに当たる場合も当然ありますが。
とにかく、とある新聞の紹介欄はアテにしてはならないというのがわかりました。
節約には間違いなく、読書ですよ。それも、図書館を利用して無料で借りる。これが1番ですよ。図書館なら冷暖房完備ですからね。ただ、子供の声が少々大きすぎる時もありますが、そこはご愛嬌として捕らえないと、公共施設ですからね。節約しながら子供の教養の場を利用しているママさん達も大変でしょうから。
わたくしの休日はよく図書館の後に本屋にも寄るのがルーティンコースになってるのですが、本屋では子供でも静かにしてもらいたいですね。静かな場所ですから、普段の声でも響いて気に触る事もしばしば。それを注意どころか親も普通に会話してる場合があります。どれだけその家族の会話が本屋中に響いているのか1度観測してもらいたいですね。
たかが本屋、いえいえわたくしの様に本を読むのが何よりも楽しみな人間にすれば、されど本屋です。それに、本屋は図書館と違ってそこで働き、お給料で生活してる店員さんがいますからね。昨今はネットで買うのが主流なので、店舗で本を見ながら選びたい派としては、他のお客が不快になる様な客はご遠慮願いたいんですよね。
かく言うわたくしも、本はネットで買ってしまいますが汗
昨日参拝した岡山県の西大寺で思ったように、人には場所が合う合わないがあると思うんです。雰囲気というかその気分というかタイミングみたいな。
本屋さんに時間潰しで立ち寄った客も、気になったら買う確率は当然あります。しかし、例え時間潰しでも、店舗に入らなければ買う確率もゼロになるんですよね。偶然立ち寄った本屋でその日は買わなくても後日来るかもしれません。そういう時に店員が以前態度が合わなかったとか、客がうるさかったとか、何かしらの理由を無意識で自分が判断し、「止めとこ」か「気にしない」か決めるのだと思うんです。
たまたま店員が忙しい時に行った、たまたま子供の声が大きな家族がいた。全てたまたまです。しかし、そのたまたまを「縁が無かった」とわたくしは判断します。たまたまでも行った時に「静かで店員さんの愛想も良い」とするならそこは行っても良い場所と判断するんです。
運命の赤い糸って使い古しされた言葉がありますが、本来結ばれる者同士はたまたまでも出会ってしまうんです。それもお互い失恋後とかだったりするタイミングで。運命じゃない相手とは出会わなかったり、険悪や対立の立場で出会ったりするもんなんです。いつもわたくしはそう思うようにしてます。なので昨日の西大寺も、調べるととんど焼きの催し物がある日だったみたいですが、準備してるスタッフさんとかが目障りで、これは西大寺とわたくしは縁があまり無いのだなと思うようにしました。
「嫌い」とか「二度と行かない」とかではなく、わざわざ行くタイミングは少なめな場所なんだろうな、という考えです。前回は騒がしかったけど次こそは大丈夫と思って再チャレンジするよりも、他の神社仏閣を参拝する時間に費やしましょうというお導きかなと。
逆に、行ったタイミングが悪くて落ち着かなかったけど、また近々行きたいなって場所は行くべきだと思ってます。なんでも自分の感覚を大事にしようって考えです。
ポチっと押してくれた全ての人に感謝です