朝はたまに空腹になる
けどこれで慣れると昼まで空腹にはならないし、忙しい時には夕方まで持つのは逆にどこか悪いのだろうか?
栄養さえ足りてれば良いのだが
土曜日のお昼は簡単に冷凍チャーハン
帰り支度とか諸々お昼休みも落ち着かない
無能と仕事を共にすると、必要以上に疲れる
じゃあ自分が有能かと問われたら、いえ普通ですと答える
気遣いというか機転というか、そういうものを求めるが個人差が有るのは否めない
例えば常連のお客さんAは毎月「チーズバーガー」とわかっていたとする
電話注文あった時に「バーガーよろしく」と言われたら「この人はいつもチーズバーガー3個」みたいな
田舎特有の「顔パスシステム」みたいなもの
(そのシステムもこのご時世どうかなってのもあるが)
だが数年に1度注文してくる人が居て、顔は知ってる人だが、注文は何バーガーを何個かわからない
「バーガーよろしく」
と電話あったら「わかりました」じゃないでしょ?
電話取った人に、何バーガーを何個?
と聞いても
「知らないです、聞いてません」
「何故? 何故聞かないの? 滅多に注文しない人って認識してるのに、何故聞かないの?」
と思ってしまう
多分チーズバーガーだろうとチーズバーガー持って行くとする
1個持っていったら2個だった時に、また取りに戻らないといけない
じゃあ2個準備して1個だったら無駄で邪魔、非効率的
そう、非効率的な事が大嫌いなんです
(好きな人は居ないと思うけど)
難しいことを頼んでるのじゃないの、些細な事で無駄が減る、この努力を惜しまないでしてくれと
仮に、今回の件で「常連じゃない客には確認します」と当たり前だけど反省したとすればまだマシ。
忘れた頃に同じ様なことをする、それが無能というのよ
自分が有能ではなく、普通というのは、同じ失敗をしないように気をつけるから
それって普通だと思って
赤信号で飛び出して車に轢かれて死にそうになった
やっと退院したその日に赤信号で飛び出した
これって普通?
違いますよね、無能ですよね
けど赤信号で飛び出すのは普通じゃなく無能なんですよね
けど急いでいたとか、確認したら来てなかったとか言い分があるとする
あるとしても事故に合えば大変なのを体験する
どんな言い分あったとしても赤信号は止まれと学習して次は止まる、大目に見てここまでが普通とするなら、やはり無能と仕事するのは疲れる
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ここまで書いて、やはり愚痴ばかり言うのは自分の性格が悪いのかと自己否定してしまう
ブロガーさんの読んでて良いと思ったのが
「すべての事は学びである」
だから実生活の職場で「赤信号が~」とか説明しても影で批判されるだろうと思い、これもなにかの学びなのかな、とか思うようにしてる(無理やり)
年末、忙しい同僚(例の新人)を助太刀しても逆は無い
これも「仕方ない」と割り切る事が必要なのだ、と
色んな人が居る、当たり前だ
言ってもわからないひと理解できない人、無能な人
有能な人から見ればわたくしも無能者だ
それでもなんとかやっていけてるのは、有能者に直接批判されないからかもしれない
そもそも仕事は食べていく為にしてる行為だから、お給料出る限りは我慢料なのだ
無能もいれば有能もいる、要はバランスだ
しんどい仕事中もなんとか乗り越えたら休日は来るのだから、その休日をどこまで謳歌できるかで翌週また働く気力になる
可愛いワンチャンに癒され、美味しいもの食べて、神社仏閣巡りで心も癒されたら良しとしよう
世の中3連休なのね涙
奇跡の9連休明けで憂鬱とかニュースでやってたのに、5日働いたら3連休とか?
こっちは飛び石連休で連休明けか、6日働いて日曜日だけ休んでまた6連勤が3ヶ月続きますが?
我慢料です笑
ポチっと押してくれた全ての人に感謝です
どうせなら宣言しとこうと思いついたのですが、ブロガーさんのブログ観覧しててスターは押しますがブログ村等のバナーも必ず押す宣言をしておきます